“宮崎の蝶”との出会い             

                      阿部 祐侍



 宮崎蝶類愛好会機関誌「宮崎の蝶《との出会いは、怒和貞賞先生

との出会いでもある。高千穂高校に赴任したのが1974年の4月

であった。当時、ゼフィルスの記録は、藤岡知夫先生著書のハンド

ブック「日本の蝶《だけだったと思うが、九州では高千穂に記録が

集中していた。その高千穂に転勤希望を出したのは、ゼフィルス採

集のためであった。                     



 小学校4年頃であったか、兄の友人に蝶の標本を見せてもらい、

ゼフィルスの美しさに衝撃を受けたことを思い出す。日本にもこん

なにきれいな蝶がいるのか!と。しかし九州では採れないと思って

いた。



 怒和先生との出会いはストライキの会場で同僚の別府先生に紹介

を受けるという劇的なものであった。             



 彼のゼフィルス採集にはじめて同行したのは白岩山であった。お

そらくメスアカミドリシジミであろうがその可憐な姿を目撃したと

きの感動は今も忘れられない。その時は採集できなかったが、それ

からあっちこっちと金魚の糞のようについて回った。      



 怒和島の出身で、先祖は海賊、今は山賊と見紛う怒和先生は、知

力・胆力・自然を見る力・豪快さ・緻密さ・優しさetcを兼ね備え 

た人物である。                       



 彼との採集はとても楽しく、蝶は勿論のこと椊物から気候等あら

ゆる面において自然を見抜く眼を養わせてもらった。      



 彼はウラクロシジミの調査は特に精力的であり、ウラゴマダラシ

ジミの場合などの宮崎県での希少種では、卵を発見しても保護のた

め採集しないこともあった。                 



 祖母山・傾山・本谷山・笠松山・五葉岳・鹿紊山・頭布岳・大崩

山・向坂山・白岩山・五家の荘の山々など、彼に連れて行ってもら

った九州脊梁山地は数え上げればきりがない。特に今もありありと

目に浮かぶのが鹿紊谷や黒仁田谷である。これらの谷は山岳地帯に

産するゼフィルスのほとんどが採集できる。勿論、ウラクロシジミ

もいる。九州産ウラクロシジミの分布調査のほとんどが怒和先生に

よってなされたといっても過言ではないであろう。クロミドリシジ

ミ、ウラジロミドリシジミの九州での発見者も彼である。    



 「宮崎の蝶《は怒和先生が主催する同好会誌である。32年間の

歴史を持つ。初版からしばらくは手書きでまとめられていたが、パ

ソコンの発達で現在では各人で自分の原稿を打ったものを怒和先生

がまとめ、それを都城の文昌堂さんで製本していただいている。こ

の長い年月、「宮蝶」を途絶えることなく発刊し続けてこられたのは

勿論、怒和先生の力であった。その人柄と真撃な態度に対してのみ

んなからの評価の現われである。最近「宮蝶《は文昌堂さんの写真

技術でカラー写真が入り、図鑑並みのすばらしい会誌となった。 



 今回を最後に会誌が廃刊になるが、これから何を基準として宮崎

県の蝶調査を方向付けていったら良いのだろうか。やはり、怒和先

生が中心になって導いて戴たいと思っている。         



 宮崎蝶類愛好会を通していろんな蝶仲間ができたのも私の大きな

収穫である。藤岡知夫先生・高崎浩一朗先生・山元一裕先生・高千

穂の片桐さん他多数の仲間ができた。いろんなことをいろんな方か

ら教えていただいた。                    



 たとえば先日は、藤岡先生からまったく私が想像もできなかった

ゼフィルスの夜問飛翔(活動)の習性を教わった。        



 このことは[四季列島・蝶]大屋厚夫氏著 出版芸術社 58ぺー

ジ~59ぺージにはこのような記述がある。[1997年に竹中一夫

氏や長野県の愛好家たちが長野県飯山市郊外で、午前3時45分頃

に、100頭を越える「蝶と思われる《小さくて黒い個体の集団が、 

広葉樹の地上7~8mの樹冠上に高さを保って乱舞していた。足も

とは真暗、空はようやく明るさが出はじめる時間帯である。この群

れの一部を20~30頭あまり採集してみたところ、全てがウスイロ 

オナガシジミであったという。…略…驚くことに、乱舞している個

体群がいったん消失した午前4時15分頃になって、再び同じ場所

に、同じような正体上明の蝶の集団が樹冠あたりの上空を乱舞し始

めた。この集団はかなり活発に飛び回り、ウスイロオナガシジミよ

り群れは小規模で、40~50頭程度であった。これも確認のために採

集してみると、全てがミズイロオナガシジミであったという。] 



 蝶は明るいうちしか活動しないものと思っていた私の固定観念を

完全に打ち砕くものであった。                



 私が蝶に携わった時間は長い。蝶に対する考え方は「宮崎の蝶」に

ずいぶん影響を受けてきた。価値観、物の見方など大きく変えてく

れたのである。この素晴らしい機関誌の廃刊を非常に残念に思って

いる。                           




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